成願寺案内

明治11年説教所として始まって以来今日までの間、筆舌につくせぬ様々な出来事にも遭遇いたしましたが、そのこと全てが今日の成願寺の姿を現しているものと思います。

成願寺となるまでの概要

 成願寺は、明治11年、藩政時代に裏町地区、中里地区など各地で開かれていた布教所を合併した形で古川法橋河原(現在地)に、古川説教所として建設されました。

 当時、浄泉寺十二代円界をお世話役に、数少ないご門徒が中心となって、28日講(宗祖親鸞聖人ご命日)を開き、布教活動を重ねました。

 それまで、隣接するところには共同墓地がありましたが、昭和6年4月、松谷林兵衛様、廣嶋丈之助様の墓地寄贈及び佐藤利助様等の寄付金を受けることにより、墓地埋葬管理者として松谷林兵衛、名義を浄泉寺住職赤羽根随證として、宮城県庁に墓地許可申請をし認められ、独自の墓地を造成、昭和28年6月、戦後の宗教法人制度を機に成願寺としました。

 時来、東本願寺東北別院輪番が特命住職となり法務に就かれた時期もありました。しかし、祖父円界以来、父隋證、私證信まで、ひたすら真宗興隆の法務を、宗祖聖人の申される“ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし”との意を体し、専念してまいりました。

成願寺写真案内

成願寺の位置

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